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『ロメオとジュリエット』(、英語:''Romeo and Juliet'')は、ソ連の作曲家、セルゲイ・プロコフィエフが作曲したバレエ音楽である。イギリスの劇作家シェイクスピアによる悲劇『ロミオとジュリエット』に基づく。バレエ音楽からプロコフィエフ自身によって管弦楽組曲3つとピアノ独奏用組曲1つが作られている。 演出家でありシェイクスピア学者でもあるラドロフ、ギリシャ劇の権威である劇作家のピオトロフスキー、振付師ラブロフスキーらの協力を得て台本を作成し、1935年に52曲からなる全曲を完成させたが、そのときの筋立ては、終幕でロメオが1分早く駆けつけジュリエットが生きていることに気付きハッピーエンド、という内容になっていた。ハッピーエンドにした理由は、バレエの振付のため、生きている人は踊ることができるが死者は踊れないという理由であったことを、プロコフィエフは自伝の中で述べている。その後、振付家たちと相談し、悲劇的な結末を踊りで表現できることがわかり、原作どおりの結末にして終曲を書き改めた。 バレエは当初、レニングラード・バレエ学校創立200年祭で上演される予定だったが、酷評されて契約を撤回された。そこでプロコフィエフは組曲を2つ作り、バレエの初演に先行して第1組曲を1936年にモスクワで、第2組曲を1937年にレニングラードで発表した。バレエはその後、1938年12月30日にチェコスロヴァキアの国立ブルノ劇場で、セムベロヴァ主演、プソタ振付により初演された。ブルノでの初演が成功を収めたことで、レニングラードのキーロフ劇場は態度を改め、1940年1月11日にラブロフスキーの演出・振付、ウィリアムスの美術、ファイエルの指揮、ガリーナ・ウラノワのジュリエット、セルゲーエフのロメオでソヴィエト初演が行われた。 ==バレエ== ===『ロメオとジュリエット』 Op.64=== ;第1幕: ::第1曲 前奏曲 :第1場 ::第2曲 ロメオ ::第3曲 街の目覚め ::第4曲 朝の踊り ::第5曲 喧嘩 ::第6曲 決闘 ::第7曲 大公の宣言 ::第8曲 間奏曲 :第2場 ::第9曲 舞踏会の準備 ::第10曲 少女ジュリエット ::第11曲 客人たちの登場(メヌエット) ::第12曲 仮面 ::第13曲 騎士たちの踊り ::第14曲 ジュリエットのヴァリアシオン ::第15曲 マーキュシオ ::第16曲 マドリガル ::第17曲 ティボルトはロメオを見つける ::第18曲 ガヴォット(客人たちの退場) ※古典交響曲の第3楽章を改作して転用 ::第19曲 バルコニーの情景 ::第20曲 ロメオのヴァリアシオン ::第21曲 愛の踊り ;第2幕: :第3場 ::第22曲 フォーク・ダンス ::第23曲 ロメオとマーキュシオ ::第24曲 五組の踊り ::第25曲 マンドリンを手にした踊り ::第26曲 乳母 ::第27曲 乳母はロメオにジュリエットの手紙を渡す :第4場 ::第28曲 ローレンス僧庵でのロメオ ::第29曲 ローレンス僧庵でのジュリエット :第5場 ::第30曲 民衆のお祭り騒ぎ ::第31曲 一段と民衆の気分は盛り上がる ::第32曲 ティボルトとマーキュシオの出会い ::第33曲 ティボルトとマーキュシオの決闘 ::第34曲 マーキュシオの死 ::第35曲 ロメオはマーキュシオの死の報復を誓う ::第36曲 第2幕の終曲 ;第3幕: ::第37曲 前奏曲 :第6場 ::第38曲 ロメオとジュリエット ::第39曲 ロメオとジュリエットの別れ ::第40曲 乳母 ::第41曲 ジュリエットはパリスとの結婚を拒絶する ::第42曲 ジュリエットひとり ::第43曲 間奏曲 :第7場 ::第44曲 ローレンス僧庵 ::第45曲 間奏曲 :第8場 ::第46曲 ジュリエットの寝室 ::第47曲 ジュリエットひとり ::第48曲 朝の歌 ::第49曲 百合の花を手にした娘たちの踊り ::第50曲 ジュリエットのベッドのそば ;第4幕: :第9場 ::第51曲 ジュリエットの葬式 ::第52曲 ジュリエットの死 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロメオとジュリエット (プロコフィエフ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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